AIが仕事を奪うのか、という議論はよく耳にするテーマである。この議論には、「技術的に可能であること」と「社会がそれを受け入れられるか」という2つの視点が存在する。たとえば、電気自動車は約100年前から存在していたものの、当時はインフラが整っておらず、結果的にガソリン車が主流となった。これと同様に、AIによる仕事の代替も技術的には可能だとしても、社会的な受容性が伴わなければ実現しないだろう。

 ではここで、AIに仕事は奪われないから安心と考えて良いのか。そうともいかないと考える。現在、単純作業の仕事は「つまらないもの」として蔑まれる傾向がある。そのような感情は、「機械でもできる」、「誰がやっても変わらないではないか」という考えから生じている。しかし、AIが進化し、あらゆる仕事が技術的に代替可能となれば、この感情は単純作業に限らず、今日のあらゆる職種で発生する可能性がある。

 ここで重要なのは、社会の変化する側に回るということである。AIの発展に伴って(主観的にも客観的にも)仕事の価値、やりがいは大きく変わる。では、一つの職能に執着するのではなく変化し続けることが重要であり、これが5,10,20年後の生存戦略であるのではないだろうか。