脱構築不可能なものを完成(完全)と呼ぶ。今の私とは何か、私の哲学みたいなものがあるとすれば何か。そういうものを定義したとする。しかし、私はそれを完成だとは感じない。一時的に完全だと思っていても外力によりすぐに不安定になる。そこで、その定義を脱構築して、どこかへと向かう。それはどこだろうか。アリストテレス的にいうと幸福であり、完成を意味する。しかし、生涯のうちにそこには到底辿り着けない。むしろ、そこに辿り着こうとする過程こそが人生である。ちょうど彼のいう可能態と現実態の関係であり、人間は可能態のまま生涯を終える。