1. 人生死あり、修短は命なり
人生死あり、修短は命なり・・・
名探偵コナン 第96巻 諸伏高明

こちらは名探偵コナンで出てくる言葉になります。亡くなった弟諸伏景光の死を受け入れる際の兄諸伏高明の言葉で、中国のある軍師の故事成語から引用したものです。
意味は「人間にはいつか必ず死が訪れる。短い生涯を終えるのもまた天命である。」で、これには続きがあります。(続きがあることを強調するために「命なり・・・」としたのではないでしょうか。)
人生死あり、修短は命なり、曇明に存することを得ず。古人の言に曰く、以て明徳を立て、以て功業を行う、以て言を立つれば、名は遐代に伝わり、死しても朽ちず。
中国のある軍師 周瑜
現代語訳は次のようになります。「人生には必ず死があり、寿命の長短は運命である。明日のことさえ分からない。古人の教えによれば、徳を明らかにし、功績を残す、価値ある言葉を残せば、その名は遠い未来まで伝わり、死後も朽ちることはない。」
つまり、人の死は必ず訪れるものであり、避けることはできないが、それまでの行動や徳は後世に残り続ける。ということです。(だと思います。)
2. レフ・トルストイ『人生論』
2.1. レフ・トルストイという男
人の死が訪れても、行動や徳(トルストイは理性と表現)は後世に残り続ける。この言葉を聞いて、まずトルストイが思いつきましたね。
レフ・トルストイは、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪であることは有名ですね。
人生とは善への希求であり,その努力にこそ人生の真の意義がある.善こそは人生の目的なのだ.だが,この目的は何によって達成しうるのだろうか.トルストイはこう断ずる,それは人間にのみ与えられたあの理性の働き,即ち愛によってである,と.『人生論』には,この偉大な「人生の教師」晩年の思索と体験のすべてがこめられている.
岩波書店 『人生論』概要
人生とは善への希求、ソクラテスを感じますね。
ただ生きるのではなく、善く生きる
ソクラテス
この人は、「善く生きる」ことにただただ忠実で、「善く生きるために」不正な判決にも関わらず死を受け入れてしまう、変な人です。
2.2. 動物的存在と理性的存在
脱線してしまいました。話を戻します。「人の死が訪れても、行動や徳(トルストイは理性と表現)は後世に残り続ける。」彼は、そもそもここでいう「訪れる死」について、考えています。単に「動物的死」が死を指すのかということです。
トルストイは人間には「動物的存在」と「理性的存在」の2つがあると語ります。それぞれの視点で死について考えると、共存不可能なことがわかります。つまり、どちらかを採用しないといけないのです。
・動物的存在
生は生まれるから死ぬまで、それは肉体の存在に依存する。
・理性的存在
時間的空間的に超越したところに理性がある。他は己に入り、己は他に入る。簡単にいうと、死は存在しないのです。世界の存在(流れ)そのものが生命であり、個々の肉体の存在には依存しません。「メタ的な考え」

生きるということは幸福を望み、獲得すること。
動物的存在を重んじる人は、本当に生きているのは自分1人、他者は自分の生存の条件(手段)の1つに過ぎないと誤解する。
人間の真の生命とは、空間と時間の中で生ずるものとは異なる。
トルストイ『人生論』
当然、トルストイは理性的存在を採用します。
2.3. 人間に死は存在しない
理性的存在を採用するということは、「死は存在しない」ということになります。
では、彼がなぜそのように考えるのか、本文を抜粋していきながら見ていきましょう。
私の兄が死んだ。<中略>これまで見てきたような姿の兄を見ることはない。だが、わたしの目から兄が消え失せたことも、兄とわたしの関係を消滅させはしなかった。わたしには、よく言うように、兄の思い出が残ったのである。思い出が残ったと言っても、兄の腕や顔や目の思い出ではなく、兄の精神的な面影の思い出である。<中略>この思い出はただの観念ではなく、何かわたしに作用するものである。それも、地上の生存の間を通じて兄の生命がわたしに作用していたのと、まったく同じように作用するのだ。<中略>世界とわたしの関係を解明してくれた、世界と兄との関係として感じとっていながら、いったいどんな根拠にもとづいて、死んだ兄はもはや生命を持たない、などと断言できるだろうか?<中略>兄の生命を否定することは、わたしにはできない。わが身にその力を感じとっているからだ。<中略>それだけではない、この目に見えない、死んだ兄の生命は、わたしに作用を及ぼすだけでなく、わたしの中にまで入りこんでくる。兄の独自な生きた自我、世界と兄の関係が、世界とわたしの関係になってくる。<中略>一人の人間は死んだけど、世界に対する彼の関係は、生前と同じどころか、何層倍も強く人々に作用しつづけるのだし、その作用は合理性と愛の強さの度合いに応じて、全て生命あるもののように、決してとぎれることなく、中断も知らずに、増大し、成長してゆくのだ。
『人生論』第三十一章 -死んだ人々の生命はこの世で終わるのではない-
トルストイは、生命と物質は異なる領域にあり、私たちの生命も含め、すべてが一つの大きな生命の一部としてつながっていると考えるのです。私たちは、自分の生命が独立したものだと感じる傾向にありますが、実際には多くのものがくっつき合って成り立っています。大切な人との思い出や感動を与えてくれた本や言葉、家族や尊敬する思想家などが、自分自身の中に深く溶け込んでいるのです。これらは単に別々の存在として関わっているのではなく、私の生命に溶け込んで、一体となっているのです。(この一体化こそが、理性(を持った人間)の活動であり、愛だとトルストイは語るのです。)
具体例を見ましょう。
キリストはずっと以前に死んだ。彼の肉体的生存は短かった。<中略>彼の理性と愛の生命の力、すなわちほかのだれでもない、世界と彼自身との関係は、 いまだに、世界に対する彼の関係を受け入れてそれによって生きている何百万もの人々に作用しているのである。なぜそれが作用を及ぼすのだろうか?<中略> この作用は一体何であろう?<中略>その力は生きているキリスト自身に他ならない。
『人生論』第三十一章 -死んだ人々の生命はこの世で終わるのではない-
このように、トルストイは理性的世界を詠い、死は存在しないと主張するのです。 先の周瑜とは思想のレイヤが少し異なりますが、「人の死が訪れても、 行動や徳(トルストイは理性と表現)は後世に残り続ける。」という説明はできたと思います。
3. 人はいつ死ぬと思う・・・?
また、トルストイと同時に次の言葉も連想されました。
「やめておけ お前らにやおれは殺せねェよ 人はいつ死ぬと思う・・?」
ワンピース16巻 Dr.ヒルルク
「心臓を銃で撃ち抜かれた時・・・違う」
「不治の病に犯された時・・・違う」
「猛毒キノコのスープを飲んだ時・・・違う!!!」
「・・・人に忘れられた時さ」

ワンピースの有名なシーンですね。ワンピーにはあまり詳しくないですが、Dr.ヒルルクのこの言葉は大好きです。 (空島までしか見れてない…)周瑜やトルストイに近い思想ですね。
俺が消えても、俺の夢は叶う
ワンピース16巻 Dr.ヒルルク

Dr.ヒルルクはチョッパーに出会い、また、自分の研究を継承してくれる人(ドクトリーヌ)を見つけ、 夢の実現を確信したのでしょう。また、チョッパーに出会えたので、俺は殺せねえと断言できたのではないでしょうか。 自分の想いが愛弟子のチョッパーに刷り込まれていき、繋いでくれると確信したのです。もちろん、いまだに、チョッパーには彼の言葉が作用しており、 Dr.ヒルルクは生きているのです。もっというと、わたし(これを見ているあなた)の中でも彼は生きているのです。
4. 僕は脳そのものだ。

"I am a brain, Watson. The rest of me is a mere appendix."
Arthur Conan Doyle (Sherlock Holmes), The Adventure of the Mazarin Stone
僕は頭脳そのものだ。ほかの部分は付属物にすぎないのさ。
シャーロック・ホームズの事件簿「マザリンの宝石」から抜粋
もちろんこの人も忘れてはいけません。コナンを語る上では欠かせない、シャーロックホームズです。 ホームズにとっては体は自分ではなく、自分は頭脳(理性)であると語っています。さらにホームズが何にも増して愛した理性、 これを尊重して生きていたことから、ホームズも理性的存在を重んじていたことがわかります。
"But love is an emotional thing, and whatever is emotional is opposed to that true cold reason which I place above all things."
Arthur Conan Doyle (Sherlock Holmes), The Sign of the Four
恋愛は感情的なもの。全て感情的なものは、何ものにもまして僕の尊重する冷徹な理性とは相容れない。
シャーロック・ホームズ 「四つの署名」から抜粋
5. 意図的なのか-名探偵コナンの凄さ-
先に紹介した諸伏高明の言葉に似たような言葉が他にも名探偵コナンの作中で見受けられます。この言葉がみんなを繋いでいるように感じます。
5.1. 警察学校

警察学校編は、名探偵コナン本編の7年前、警視庁警察学校で同期だった降谷零、松田陣平、伊達航、諸伏景光、萩原研二の5人の、 鬼塚教場での半年を描いた作品です。本当に面白いので是非見て欲しいです。この5人の繋がりは本編にも多く関わっており、 2022年に上映された『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』でも5人はメインを務めています。5人の過去について知ると、よりこの映画を楽しめると思います。
5.2. 松田陣平「・・忘れちまったら、・・本当に死じまうぜ?」、「ダメに書いてんだ・・」

いや、忘れるこたぁねーよ。前に進めるかはあんた次第・・・
「揺れる警視庁 1200万人の人質」松田陣平
あんたが忘れちまったら、あんたの親父は、本当に死んじまうぜ?
こちらは松田陣平が、父の形見として父の手錠を持っている佐藤刑事に向けて言った言葉です。
ダチに書いてんだ・・送信しても受け取ってくれねぇ親友に・・・
「揺れる警視庁 1200万人の人質」松田陣平
こちらは松田が、警察学校での同期で、かつ幼なじみの萩原研二に向けて、メールを書いているときの言葉です。萩原研二はこの4年前に爆弾処理中に命を落としてしまいます。そんな彼に向けて松田はメールを送っています。松田にとって萩原が生きている(溶け込んでいる)からでしょうか。
5.3. 高木刑事「ダメですよ、忘れちゃ・・」
松田刑事は佐藤刑事と出会ってからすぐに、殉職してしまいます。佐藤刑事はそんな松田刑事を忘れたくても忘れられずにいました。(詳しくは「揺れる警視庁 1200万人の人質」を)


ダメですよ、忘れちゃ・・・
名探偵コナン 第304話 「揺れる警視庁 1200万人の人質」高木渉
それが大切な思い出なら忘れちゃダメです・・・
人は死んだら、人の思い出の中でしか生きられないんですから・・・
佐藤刑事はこの話で松田刑事を殉職に追い込んだ犯人を追い詰め、冷静な対応ができなくなっていました。
高木刑事「松田刑事に怒られちゃいますよ。」
佐藤刑事「忘れさせてよ・・」
そこで、この言葉です。松田刑事と高木刑事には重なるものがありますね。
5.4. 引き継がれる思想-高明から景光へ・・・そしてまた-
上の2人による言葉は作中で登場した、今回取り扱った思想に関する言葉になります。ここからは想像ですが、もし青山先生がこれから書くことを全て考えていたら脱帽です。
ここで考えるのは、松田陣平が誰かから先の言葉をもらった(溶け込んだ)のではないかについてです。では、どのように伝達されていったのでしょうか。(あくまで想像です)
1, 諸伏両親殺害、高明から景光へ
景光が幼い頃、両親が殺害されてしまいます。(『警察学校編_諸伏景光』参照)そこで、兄高明から景光へ「人生死あり、修短は命なり・・」、「忘れずに、親の教えを胸に生きていこう」と伝えます。
2, 萩原研二殉職、景光から松田、降谷へ
先にも書いた通り、萩原研二は殉職してしまいます。そこで病んでしまった松田へ景光が「忘れちゃダメなんだ!!本当に死んじまうぞ。」と伝えます。
3, 松田から佐藤刑事へ
先に書いた通りです。
4, 景光の死、また高明へ
冒頭で紹介した高明のセリフのシーンです。過去に伝えた言葉を心の中で繰り返します。
0, ゼロ、降谷零
降谷の警察学校での同期4人(松田陣平、伊達航、諸伏景光、萩原研二)は全員殉職をしてしまいます。しかし、景光から松田と一緒に言葉を受け取った降谷は彼らを心の中で何回も思い浮かべています。特に、『警察学校編_降谷零』では、それが顕著に表れています。他にも、映画『純黒の悪夢』でも松田のことを思い浮かべています。

同期の中で唯一生きている降谷ですが、降谷だけが生きているのではありません。"死しても朽ちず" 降谷の中にはちゃんと4人が溶け込んでいるのです。
「人生死あり、修短は命なり・・・」で作中は終わっているため("・・・"で終わってるから続きを匂わせてる??)、この言葉に「忘れると死ぬ」という表現は入っていなく、自分の考えすぎなのかもしれません。しかし、上のように考えるとより一層作品(降谷)に深みが出ます。
6. まとめ
最後まで拝読いただきありがとうございます。アニメコナンのワンフレーズから脱線に脱線を重ねて、思ったことをつらつら書いていったので、読みづらい文章だったかもしれません。申し訳ないです!
トルストイの人生論、哲学については最初に読んだ時に強く感動したので、ぜひ皆さんに読んで欲しいです。
名探偵コナンは教養の勉強としてこの上ないもの(もちろん漫画・アニメとしての面白さもこの上ない)なので強くお勧めします!