この世に魔法はない。こんな言葉をよく聞く。全ての現象には理由があり、またその理由にも理由があり、、この理由の連鎖が私たちに「魔法はない」と言ってくる。この意見自体は否定しないのだが、あえて私は「魔法は存在する」と唱えたい。というのも、理由のブラックボックスを魔法と呼ぶならば、魔法は相対的だからである。2000年前の人間から見たら今のスマホは魔法でしかない。小学生から見たらexcelですら魔法であり、建築学科でなければ、エアコンは魔法であるかもしれない。そう、世界にある魔法を魔法でなくするのが勉強であり、学問であり、喜びであり、人生である。この脱魔法欲を知的好奇心と呼び、脱魔法が科学の時代を生きる私たちのミッションであり、歴史的には啓蒙という。chatGPTを初めて使ったとき、今までにないくらい「魔法」を感じ、そこから半年勉強したことでほとんど魔法が「自分の中で」解明された。しかし、まだ魔法は多く残されている。なぜdeeplearningがうまくいくのか、人間の意識とは何か、、、、この最大の魔法に取り組んでいるのが、今日のAI学である。