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 音楽と雑音の違いは何か。私の拙いリコーダーの発音を音楽と呼べるのか。こんなことを考えてみる。ここで、音楽と雑音の違いは「意図」の有無であると定義し、意図をもつ発音を音楽と定義する。この「意図」がクリエイティビティや表現の核心をなすものであると考えるのだ。人間が音を組み合わせ、その中に秩序や美、物語性を見出そうとするとき、そこには明確な方向性や目的が存在する。それは作曲者が「こう感じさせたい」「こういう世界を描きたい」という内なる動機を有し、音そのものを素材として用いながら、そこに意味や価値を付与するプロセスだ。この人間的な営みにおいて、意図は受動的な自然音響の流れを積極的な芸術表現へと転換する媒介となる。つまり、意図は感覚データを単なる物理現象から、意味や感情を運ぶ「作品」へと高める力を持っている。

 音楽生成AI。これは音楽ではなく雑音を生成することになる。膨大な学習データをもとに音楽的なフレーズや旋律、あるいは歌詞までも自動で生成できるため、一見すると音楽を出力するように思うが、そこに意図が存在しない限り音楽とは到底呼べない。これはあくまで私の定義である。