今日は名前について考える。認識のコペルニクス的転回からも分かるとおり、人間は知っているものしか見れず、認知できない。今回はその中でも「名前」について吟味してみたい。外を見ると、木がある。その名前を知らないから、それを「ある木」として認知する。こんな言葉がある。「雑草という名前の草はありません。全ての草に名前があります。」人は名前を知らないと、抽象度を上げて(カテゴリカルに)考える。名前を知らないがために、私はこれらの草一本一本がもつ豊かな物語にアクセスできないのである。つまり、名前を覚えるということは、世界を我々の理解可能な体系へと翻訳する行為であり、それにより見慣れた風景のなかに隠れていた豊かな文脈にいくらでも手を伸ばせるようになる。また、これはシャーロックホームズの名言、"You see, but you do not observe."(「君は見ているが、観察していない」)が示していたことであるのかもしれない。
また、これは人間関係を構築していく上でも同様であり、初対面では最初に、名前を名乗り聞き出すべきである。