ヨーロッパの自然環境は、日本と比較して異なる特徴を持つ。夏の乾燥と冬の湿潤により、暑熱と湿気を条件とする雑草は育ちにくい。また、草原を放置したら荒廃する日本とは異なり、ヨーロッパでは自然に牧草地へと変化する。このため、ヨーロッパの人々にとって牧草の維持は受動的な営みであり、自然との闘いを必要としない。さらに、台風のような極端な自然災害もほとんどないことから、ヨーロッパでは「自然が人間に対して従順である」と認識されている。

 また、ヨーロッパの風は極めて弱いため、樹木は規則正しく成長する傾向がある。これに対して、風が強い日本では、樹木はねじ曲がった形に育つ。このような環境の違いが、自然に対する文化的な理解にも影響を及ぼしてくる。ヨーロッパでは、自然が合理的な形をとることが当たり前とされ、自然と合理性が結びついて捉えられる。自然が暴威を振るわない環境では、自然はその合理的な姿を自ら表現するのである。一方で、日本では、自然に対しての継続的な手入れが必要とされる。この結果、人工的な営みと合理性が結びつき、「人工的・合理的」に対して「不自然」という概念が当てはめられる。

 かくして、自然が従順であるということは、自然が合理的であることに連絡してくる。また、自然が合理的であるとする認識は、さらにその合理性を探究しようとする人間の営みを促す。まさに、ヨーロッパの自然科学は牧場風土の産物である。