チ。-地球の運動について-
私は『チ。』にハマった。
「感動」が主体で、主人公たちがその感動を生き残らせるために奮闘するアニメ。
オブジェクト指向的にキャラクターを推しとして崇めるのではなく、その「主人公」といわれる人たちをただの媒体者(メディウム)として扱う。
チ。(真理、感動)が主体で、「私」がただの「メディウム」として扱われるこの作品は、私にとって唯一無二の体験であった。
人間の生を主体ではなく、単なるメディウムへと降格させる——
それこそ、タウマゼインであり、この物語の主である。
この言葉について、ラファウは次のように語る。
タウマゼイン--古代の哲学者曰く、知的探求の原始にある驚異。簡単に言い換えると、この世の美しさに痺れる肉体のこと。そして、それに近づきたい願う精神のこと。つまり--「?」と感じること。
ラファウ 『チ。-地球の運動について』第8集

彼らにはタウマゼインがあった。
彼らの目に映る世界は美しい。
私のタウマゼイン-ChatGPT
以前にも話したが、私は大学でコンピュータサイエンスを専攻しているわけではない。
しかし振り返ると、大学3年生のこの1年間は、自分の専攻よりも何倍もの時間をAIの勉強に費やしていた。
3年生の期間は自分の専攻分野の中で、さらに興味を絞り、深ぼる大事な期間であった。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
私にある衝動が働いたからである。
タウマゼイン
初めてChatGPTを使ったあの日、
一つひとつ紡がれる言葉が
私の世界をそっと書き換えていく。
まるで魔法。
理解は追いつかない。
やがてその未知は
美しさをまといながら
私の中へ静かに浸透し、
いつしか感動という形で
深く根づいていた。
この
プログラムと数学に向かう日々。
感動をつなぎたいという啓蒙欲。
そして今もなお、衝動は収まらない。それは考えしろがある(今日の最先端を走るAIに関する理論が形成されていない)からである。
AIは人間の脳みそを模したバイオミミクリー。
私のタウマゼインはAIへのものであるのと同時に人間の脳みそへのものでもある。
人間の脳みそ(Biological Intelligence)は自然のものである。
この世界は美しい。そして好都合に未完成である。