あの川沿いの宿に滞在していた頃、私はまだ若く、世間というものを深く知らなかった。夏の終わりの蒸した風が旅籠(はたご)の障子をわずかに揺らし、外では絶えず水音が響いていた。滝に近いせいか、川の流れは苛烈で、岩場にぶつかり、左右に激しく分かれつつも、下流で再び一筋へとまとまってゆく。その光景を眺めていると、不思議と人間の心持ちというものについて考えざるを得なくなる。何かが裂け、逸れ、散らばり、やがてまた一処へと収斂する。その一連の過程が、私には永遠に解けぬ謎を秘めているように思われた。

 その頃、私は東京の書生生活から逃げ出すようにして地方へ来ていた。正確には「逃げ出す」という言葉が適当かどうか、自分でも判断しがたい。だが、都会の喧騒や人間関係の煩わしさから半ば逃避するように、こうした川辺の宿で静かに文庫本を開き、時折ぼんやりと外を眺め、夜には薄暗い行燈の下で短い手紙を書き綴る、そんな過日を過ごしていたのは事実だ。

 実際、私がその宿へ来るに至った直接の契機は、一通の手紙だった。それは、以前親しくしていた女性から届いた短い便りだった。彼女は東京で知り合った人で、名をここでは明かす必要もないが、確か洋裁を習い始めたとか、あるいは叔父が営む古本屋の手伝いをしているとか、断片的な記憶が私の中に残っている。彼女はやや気丈な性格で、私が何を言ってもはにかむ様子を見せることが少なかった。その冷静な眼差しが、いつしか私の中に一つの距離感を生み出し、そこに言葉にならぬ哀愁が宿ったように思う。

 手紙は淡々としていた。近頃の天気や、街の小さな出来事が数行ほど書き記されている。だが最後の一文が妙に私を不安にさせた。そこには、「この先、もしあなたがどこかへ行こうとしているなら、どうか私に声をかけないで」といった旨の言葉が控えめに綴られていたのである。別段激しい別れを告げるわけでもなく、感情を剥き出しにするわけでもない。ただ静かに、私から離れようとする意志が、半透明の膜を通して伝わってきたようだった。

 私はそれがむしろ不愉快だった。激情に走らぬ彼女の態度は、むしろ私に多大な不安と混乱をもたらした。私たちは確かにここ数ヶ月、ほとんど会っていなかった。それは、私が自分の将来を考え、研究室で時間を潰し、無為に日々を費やしていたせいでもあった。彼女に特別な言葉をかけるでもなく、ただ曖昧な関係のまま、時折会っては散歩し、曇天の下で話し、行き交う人々を眺め、やがて沈黙のうちに別れる。それが習慣になり、いつしか互いの思いが何処を向いているのか、誰も確かめようとはしなかった。

 あの手紙を受け取った後、私は決心したように東京を離れた。これといった当てもないが、国元でもない中途半端な土地を選び、川沿いの小さな宿に腰を落ち着けた。そこでは、私の存在など誰も気に留めない。旅人が通り過ぎるだけの寂れた宿場町で、私は蚊帳の中の微睡みのような日々を過ごした。

 川のせせらぎを聞くたびに、私はふと、あの分かたれた水流について考える。ごうごうと流れる滝川は、岩にぶつかり、二筋、三筋と分かれていく。形は変えられ、道筋を強制され、水面は砕け、泡立つ。その一瞬だけを見れば、水は決して再び一処に集まることはないように思える。しかし流れは一定の速度で前に進み、やがて下流で再会を果たす。そこには静寂が戻り、いつしか一筋の流れとして大河へ注いでゆく。もし人間の縁(えにし)や思いも、こうして再び合流する運命にあるのだとすれば、私たちは安心して別離を受け入れられるだろうか。それとも、不確かな未来を信じることにさえ疲れ、途中で身を投げ出してしまうのだろうか。

 しばらくして、私は町の端にある小さな茶屋へ行くようになった。年配の女将が細い声で「いらっしゃい」と迎えてくれるだけの簡素な店で、薄暗い土間に低い腰掛けが二つあるきりだ。私はそこで番茶をすすりながら、往来を行く人の影を眺める。旅人、行商人、時折子供が駆け抜ける。彼らは流れ行く水のごとく、私の前を通り過ぎるだけで、決して留まらない。だが、時にそんな中に見覚えのある顔が紛れていれば、私は驚くだろう。いや、驚くだけではない、胸のどこかに微かな痛みを感じるに違いない。例えば、あの彼女が偶然この地方に足を伸ばし、あるいは何かの用事で私の前を通り過ぎていったとして、その時私は声をかけるのだろうか、それとも静かに見送るのだろうか。

 茶屋から宿へ戻る道すがら、私は草むらの中にひっそりと佇む小さな石を見つけた。それは雨に濡れ、苔むした表面をもつ、ただの石だ。だがその形が妙に印象的だった。手の平程度の大きさで、中央が少し凹んでいる。その凹みに雨水が溜まり、小さな水溜りを形成していた。私がそれを覗き込むと、青い空や流れ雲がそこに映り込む。少し指先で揺らすと、水面は波紋を描いて歪む。その歪みは、一瞬だけ私自身の顔を奇妙な形にねじり、やがて元の空模様へと戻した。

 宿に戻り、安物の筆と紙を取り出して、私は手紙を書くことを試みた。宛先はない。彼女の名を記さず、私の近況を報告するでもない。ただ川の流れと岩のこと、溜まった水面に映る空のこと、そして再び巡り合う可能性について、いくつかの文を綴る。これらの言葉を誰が受け取るのだろうか。あるいは誰にも届かないまま、紙の上で干涸びるのかもしれない。それでも私は、川が再び一筋になる瞬間の奇跡を、言葉の端々に潜ませたいと願った。

 時が経ち、私はその宿を離れることにした。夜明け前、町はまだ眠っている。荷物は大した量ではない。外へ出ると、かすかな生暖かい風が頬を撫でる。私はゆっくりと歩を進め、川べりまでやって来た。川面は薄暗く、星明かりが揺らめいている。私はふと岩場を見上げる。激流は闇の中で尚も唸りを上げ、険しい岩にせき止められ、割れるように分かれ、泡立ち、狂おしいほどの力で押し流されてゆく。それは確かな別離の象徴のようにも思えるが、その先で流れは必ず一つにまとまる。その運命から逃れることはできない。

 人間の関係もまた、同じようなものかもしれない。確かに今、私は彼女と別れ、声をかけることすらできずにいる。しかし、世界は想像以上に広く、時間は計り知れない深さをもち、私たちの歩む道筋は複雑に入り組んでいる。その果てで、ある日、まるで何事もなかったかのように再会する可能性は否定できない。私たちは互いに分かたれた流れの一部なのだ。強制的に逸れた水は、遠く下流で再び交わる。そう信じることは決して愚かではないと、私は思う。

 靄(もや)が立ちこめる川辺で、私は一度振り返る。そこには古びた宿の灯りがかすかに残り、遠くで女将が朝の支度を始める気配がする。私はそれらを背にして、歩き出した。足元の小石が軽く鳴る度、頭の中にはあの滝川の姿がちらつく。分かたれた水流は必ず再び結ばれる。その言葉にならぬ確信を胸に、私は次の町へと向かう。

 光が少しずつ増え、夜明けは近い。人の世のすべてが、再会という微かな希望のうちに流れ続けている。その事実だけを頼りに、私はまた新たな一歩を踏み出すのだった。