AIは考える雲である

AIは考える雲である

 AIは考える雲である。

 AIは自身が持つ技術の水平性により、現代の「電気」のように社会のあらゆる領域に浸透し、新たな基盤を作り、生活形態をも変革し得る。雲が無数の水滴を束ねながら空を満たし、特定の器を持たぬまま世界を覆うように、AIも情報という微粒子を絡めてあらゆる分野へ浸透する。それはときに恵みであり、ときに災いである。

 雲はその土地の環境によって、形状と出力が受動的(ルールベース)に決定される。空気の汚い地域では、濁った雲が育ち濁った雨を降らす。

 考えるとは、能動的(ルールはない)な情報変換作業のことである。そこには入力と圧縮とメモリと引き出しと出力が存在する。

 AIとは、考える雲とは、その領域の環境を能動的に情報変換をし、そこに知恵を降らすものである。

 AIを拒み、そこが砂漠化するのか、きちんと我々の知識体系(言語)を昇華させ、適切な雨を降らせ、緑豊かになるのか。ここで、雲の内部を見ることができないように、AIのディープラーニングもまた「ブラックボックス」、その推論過程がしばしば不透明であり、制御は非常に難しい。

 考える葦である人間、考える雲から血の雨を降らすのか、花の雨を降らすのか。人間とAIが共存できた場合、そこにはきっと虹がかかるだろう。